コラム~阿難の耳~

老いをめぐるQOL

9月には「敬老の日」があります。総務省の統計では現在、日本で百歳を越えた老人の方々が47,756人もいらっしゃるそうです。また、現時点で、わが国の七五歳以上の方は1,371万人で、全人口の一割以上を占めているそうです。
国の老年医療の対象となる方々が、いかに多いかを国民一人一人が知り、少子化時代を何とかして克服しなければ、若い人々の負担は増すばかりで、健全な社会が保てなくなるともいわれています。

そこで、老いに甘えず、各人が、それぞれの体力や能力の許す範囲で少しでも自分でできることは率先して自分で行い、そして若い人たちの負担を少しでも軽くしようという気力をもって、一日一日の時間を大切にして暮らしていこうとしている方もたくさんいらっしゃいます。
私の身近にも95歳を過ぎても元気なKさんという方がいます。耳は遠くなっているようですが、身の回りのことは全部自分でやり、朝の散歩なども早足ですたすたと歩いていらっしゃいます。「本当にお元気ですね!」と声をかけると、「今の若者がだらしないんだ!」と逆襲されてしまいます。

しかし、自分ではできないことも段々と増えていくし、体力的に無理なことをして身体を壊したら、却って回りの人達に迷惑をかけることになるので、自重するべき時には、我を張らずに、大人しく養生し。人の親切を、感謝の気持ちで受けようではありませんか。とはいっても、Kさんのように、老いてからも社会の一員としての自覚をもって生きることが、老いをめぐる生活では基本的に大切なことであろうと思います。

わが国の平均寿命が長くなった一つの重要な理由として、未熟児保育が驚異的に進歩したことも含めて新生児や乳幼児の死亡率が激滅したことが挙げられています。しかし、乳幼児の死亡率とは無関係な、百歳を越えた長寿者の数の増加は、長寿者の健康状態が素晴らしく良くなってきている証拠とだとも考えられます。
一ロに長寿といっても、寿命が来て亡くなるまで矍鑠として生活を楽しまれる場合には、その方はご自分の生命の質・生活の質(QOL; Quality of Life)が高いと満足されていることと思います。しかし、そのような方は、むしろ少ないのではないでしょうか。

五木寛之氏は「林住期」という本の中で、人生の時間を「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」と4つに区切る古代インドの「四住期」という考え方を紹介しています。
人生のクライマックスは実は後半の「林住期」から始まる、吉田兼行や鴨長明の例を引き、「人生の後半に入りただ死を待つだけではなく、その精神は俗世間のきまりや掟に縛られない自由を求めて行く・・・」と書いています。
漫然と歳を重ねるのなら、ただ枯れるのではなく残された時間を何かに燃えながら枯れて行く人生こそ、老いて行く中での生活の質を高める大切な要素だと思います。

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