特別企画

筆者の木部先生と出版元の杉山社長(彩流社)のご好意により「全国精進料理紀行」(抜粋)を何回か連載いたします。

密教料理(島根県・峰寺)

密教料理 山寺イコール「修行の場」のイメージから、何やら堅苦しい気分になるのは仕方がない。そんな感覚からすれば意外に「自由・気楽」な印象が残る料理に出会った。神話の国・出雲に近い中嶺山峯寺の密教料理だ。


寺の開基は斉明4年(658)、役小角の手によると伝えられるから、1300年を超える伝統を持つ。戦国時代には毛利氏の尊崇を受け、全山に42坊が整っていたという、中国地方屈指の古刹。こう聞かされただけで、かしこまってしまいそう。ところが次々に供される料理は、もちろん内容は洗練されているのだが、どこか肩の力が抜ける楽しさがある。
 シイタケ・キュウリ・くず切りの酢の物はゴマ油風味の中華風で名前も「黄檗風酢物」と、真言宗の寺でありながら、他宗派のネーミング。二子山部屋の横綱貴乃花が、「琴花田」と佐渡ケ嶽部屋式のシコ名に変えるに等しい度量の広さといったら大袈裟か。納豆とゆでたサツマイモに、片栗粉・砂糖・しよう油を混ぜ、練って丸めて揚げた「軽石揚げ」の甘さは、菓子の趣。豆乳の冷やし茶碗蒸しは、すったオクラと梅肉のタレをかけるが、使われている器は紛れもないコーヒーカップと受け皿。「ウーン…」とうなっているところへ、ワイングラスに入ったワイングラスに入ったゆで小豆入りコーヒーゼりーの追い討ち。 「和食を洋食器に盛り付ける遊び心は、巷では珍しくありませんが…。コーヒーゼリーのゼラチンは動物性では?」 やや杓子定規的問いかけに、住職夫人の松浦秀子さんは、「食器が少ないので…、細かな事にとらわれないことも、また仏の道ではないですか」と、冗談と本質を笑顔でさらり。そういえば、他の寺でキノコのバター炒めに出会ったこともあったか。
一方、料理に対する誇りの象徴が、寺の名前そのままの「峯寺蒸し」。下ゆでした袋茸、松の実、タケノコなどを器に入れ、少量の溶き卵を混ぜたむろしヤマイモをたっぷりかけて蒸す。仕Lげにしょう油昧のくずあんを張る。秋にはギンナン、冬なら。ユリネなども加わり、季節の移り変わりを演出する。ヤマイモはビタミンCやカルシウム、カリウムに富み、消化酵素のジアスターゼは大根より多い。料理全体に豆類も目包つが、これは山の中でタンパク源を求めた結果だろうか。
 快芳住職は茶人で、境内の奥には茶室が。寺の料理の原点は茶懐石だった。
「『珍しい材料を使わんでも、例えば1本しかない大根でいくつもの料理を作って、人をもてなす。一生懸命もてなす心が懐石の、精進料理の神髄』が住職の口癖でして。始めたころはそんな形だったんですよ」と秀子さん。
以前はユースホステルとして、本堂も若者たちに開放していた。
 「きれいなホテルや旅館と違いますから、食事だけは楽しんでもらおうという気持ちでやっていました」ここでも「もてなす心」を強調する。なるほど、酢の物や酢みそ和えも「女性客が多く、すっぱさがきついと抵抗があるので」と「酢」らしさを感じさせないほど淡く仕上げる「客本位」の姿勢。こんな精神が、料理に自寺の名前を冠する「誇り」と、他宗派の名や洋食器をも使いこなす「自由・気楽さ」の同居を生んだと見るべきか。
中国山地の連峰を望む奥出雲の山上。そんな「聖地」然とした風景とコーヒーカップが妙に心に残る。そのあたりは仏教、そして精進料理の柔軟性を示すものかもしれない。

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