葬送ルネサンス

第二話 葬儀は何のために行うか?

1. 葬儀は誰のために行われるのか?

先日、長年にわたり親交のあった地元の区議会議員が亡くなり、その葬儀に参列する機会があった。享年64歳という「まだまだこれから」という死が惜しまれるが、生前の功績と本人の人柄を慕い、1,000名以上が参列した荘厳な中にも感動的な葬儀だった。しかしそういう場に臨むと、故人に対する様々な思いと追善の気持ちが湧き上がるのはもちろんだが、「式場の導線が多人数の参列者に対応しきれていないのでは?」とか、「司会の声が聞こえにくいのではとか?」いろいろなところが気になってしかたがない。生前公私にわたりお世話になった故人には、はなはだ申し訳なかったと反省している。一種の職業病(?)かもしれないが、読者の皆様にはこういう経験はないだろうか?
そうした気持ちと同時に、故人を偲び、ご遺族や参列者の方々を見ながらふっと思ったのは「この葬儀は何のために行われているのか?」という素朴な疑問だった。これは単純そうに見えて、実は簡単には答えられない問題だと思うのだが、皆様はいかがだろう?

その疑問に答えるためのヒントとして、ひとつの興味深いアンケート調査がある。30歳代から60歳代までの各年代の男女約100人ずつ合計765人に、「お葬式のイメージ」について質問したところ、1番多かったのが「参列者が故人を弔う儀式」という回答で約44%,2番目が「故人が参列者に別れを告げ人生を締めくくる儀式」で約35%と、2つで全体の約八割を占め、3番目の「家族が参列者に死亡を報告する儀式」の約10%を大きく引き離していた。これは一見するとごく自然な回答のように思われるが、視点を変えてみると不思議な回答なのではないだろうか?前2つの回答に出てくる「故人」そのものは葬儀の中心者であるにもかかわらず、実はその場には存在していない(遺体を「存在」というなら別であるが)のである。ではこの場合の「故人が」もしくは「故人に対する」という気持ち・行動は、どういう意味をもつものなのだろう? このことは、葬儀という儀式を考える上で非常に重要なポイントであり、そこに「葬儀の本質がある」と筆者は考える。

葬儀にかかわる人の関連性
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葬儀にかかわる人は、「故人」と「遺族」と「参列者」の3つに大別できる。葬儀においてこの三者は様々な関連性をもっているが、簡単に表してみると図のような三角形で表現できるのではないかと思う。
ひとつひとつの関係を具体的に見ていきたい。まずは「故人と遺族」の関係である。故人は遺族に対して、「正の要素」として「様々な想い出や功績」を残している。それは精神面や経済面など、故人の人生の幅広い分野に渡るものだろう。その逆の「負の要素」としては、死による苦痛(悲しみなど)のほかに、葬儀の執行など経済的な負担もかけることになる。それに対して遺族は、故人の様々な想い出や功績に対する「報恩感謝」と「追善」の意味を込めて葬儀を執り行う。具体的には棺や祭壇を用意し、追善の読経、火葬などを行うわけだが、葬儀社はこの儀式の部分を「代行して」行うことになる。

次に故人と参列者の関係について考えてみたい。故人は参列者に対して、関係性の深浅はあるにせよ、遺族と同じような「様々な想い出や功績」を残していくと言えるだろう。それは深い悲しみなどの「精神的な負の要素」となる場合も十分に考えられ、時には遺族より深いこともあるかも知れない。それに対し、参列者は故人に哀悼の意を表し、それを形として表すことになる。具体的には弔辞を述べたり、焼香、献花、読経などを行う。

最後に遺族と参列者の関係はどうなっているのだろうか?参列者は遺族に対して、お悔みを述べたり、精神的負担に対する激励をしたりする。その気持ちの表れが、弔電やお香典という形を取っていると考えられる。それに対して遺族は、参列していただいたことへの感謝として、返礼品をお渡ししたり、精進落しなどの席を設けて接待をする。

以上が、一般的な葬儀における三者の簡単な相関関係であるが、ここで注目していただきたいのは、筆者が「お香典」を「故人と参列者の関係」ではなく、「遺族と参列者の関係」に入れた部分である。つまり先にも述べたように、故人は葬儀の中心者であるにもかかわらず、その実体は葬儀の場に存在していない。故に、哀悼の意を表する焼香や献花の対象とはなっても、金銭という具体性をもったものの対象にはなりえないのではないだろうか。それは、お香典が遺族に対するものであるとも考えられる。

それと同じように、多くの遺族は葬儀社に金銭を払って葬儀を行う。それは中心者である故人が実体として存在しない故に、その「代わり」に葬儀を執り行う責務を果たしていると考えられる。葬儀のあいさつの中で「故人に成り代わって」という言葉が度々出てくるのも、そういう意義を踏まえた上からだと考えると納得がいくのではないだろうか。

ここで葬儀における三者の関係をもう一度、整理してみると、具体的には葬儀は遺族と参列者によって行われるものだが、その中心にあるのは実体のない故人の存在であり、あたり前のことだが、故人に対する相互の関係抜きには成り立たないものであることが改めて明確になってくる。それは葬儀で初めて顔を合わせる遺族と参列者がいたりすることからも明白である。この三者の関係に中から、「葬儀は何のために行うのか?」という疑問に対する答えが少しずつ見えてくるような気がする。

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