葬送ルネサンス

第二話 葬儀は何のために行うか?

2. 見失われつつある葬儀の意義

さて、「葬儀は何のために行うか?」という疑問は、そのまま「葬儀をする意味」を改めて考える機会でもある。何やら難しい禅問答のようになってきてしまった嫌いはあるがここにこそ葬儀社が時代のニーズに対応して勝ち残っていくヒントがあると考えられるので、ここはひとつ、じっくり腰を落ち着けて思索してみたいと思う。

様々な機会に、葬儀関係以外も含めていろいろな方々からうかがった話を総合してみると、現代社会において、葬儀の意義が徐々に見失われつつあるのではないかと思うことが少なくない。人類が誕生してから数え切れないほどたくさんの死があり、その度ごとに人々は悲しみに沈み、その思いを様々な形で表現してきた。それが積み重なって、それぞれの民族や彼らが置かれた自然環境、そこから生まれた各々の死生観、さらにそこから発生した宗教観などに応じて、死者に対してはそれを「送る形」、そして残されたものにとっては「死を受け入れる形」が徐々に整えられてきたのではないだろうか? その集大成が、各地で行われる葬儀となって現在に伝わっているのだと筆者は考える。それ故に葬儀にはそれぞれの民族や地域の特色が強く反映されており、広い意味から考えれば、それは民族や地域の歴史・文化を象徴していると言えるのではないかと思う。

死者に哀悼の意を表するために祈る形が、あるところでは「合掌」という形になり、あるところでは「黙祷」という形になり、また「大地にひれ伏す」という形になった。形こそ違え、その行為の奥にある「送る心」「祈る心」は一緒である。そうしたひとつひとつの行為が積み重なって、それが徐々に整えられながら葬儀という様式が形作られてきたのではないかと考える。そしてそれが、時代の流れと共に「形骸化してきている」と多くの人が感じ、葬儀の意義・本質が見失われつつあることを危惧するのである。

第1話の「新しい葬儀の潮流」の中で、「情報のオープン化」という事に触れ、葬儀業界にもその波が押し寄せてきていると指摘させていただいた。それにより、人々が葬儀に対してより深い関心を寄せてくださることは、葬儀業界としても緊張感を伴うことではあるが、喜ぶべき傾向と言えるだろう。しかし、そうしたオープン化によって発信される情報が、葬儀の価格や祭壇の形にばかり偏って、本来、もっと議論されるべきだと思う「葬儀の意義」にかかわる情報が少ないような気がするのは筆者だけだろうか?

以前、読売新聞に、「葬儀業界にも外資系の風」という見出しで、アメリカ・コロラド州の中堅葬儀会社「オールネイションズ・ソサエティ」の日本進出の記事が掲載されていた。これからは国内の競争だけではなく、低価格や新しいシステムを売りにした外資系葬儀会社の国内進出もさらに増えることも考えられる。そして、それ以上に他業種からの参入も増えている。そうした葬儀業界全体を取り巻く急激な変化に対応していくためにも、もう一度、葬儀の意義をしっかり問い直し、それをお客様にきちんと説明しながら、お客様のニーズも踏まえた新しい葬儀のあり方を一緒に考えていくことが、早急に必要なのではないだろうか。そしてそこに、新たなビジネスチャンスも生まれてくるような気がする。

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