葬送ルネサンス

第三話 人は葬儀に何を求めるか?

1. 葬儀における「満足」とは?

仕事柄、葬儀に立ち会う機会は一般の方々に比べると多いと思う。また近年、知人・友人の御父母の訃報を聞くことが多くなったのは、年齢がそういう世代になったということなのだろう。いずれにせよ、今年に入ってからも葬儀に参列する機会が何回かあった。その中のひとつに、参列者の方々が深く感動し、また遺族・親族の皆様が心から満足している様子がうかがえる心温まる葬儀があったので、少しここで紹介してみたい。

亡くなられた方は84歳の御婦人で、ごく普通の主婦として一生を平穏に送られ方で、また喪主を勤められた御子息も一般的なサラリーマンであり、どちらも特別な地位や名誉があったわけではない。葬儀もどちらかといえば簡素で、参列者も100人程度だっただろうか。では参列者は何に感動したのか?参列者の多くが口を揃えて言っていたのは、「なんて素晴らしいお顔なんでしょう!」ということだった。つまり故人の「死相」である。
それは見るからに満足したような穏やかなお顔で、筆者も見せていただいたが、よく言われる「まるで生きているような」という言葉がまさにぴったりだった。仏教では成仏の相を表して「半眼半口」というが、軽く目を閉じて口元が微笑んでいるような表情はそのとおりの相で、その御婦人の幸せな半生を如実に物語っているような気がした。その素晴らしい成仏の相に参列者が感動し、故人の幸せな人生を回想することで遺族の皆様も含めたみんなが満足したのである。このささやかだが感動的な葬儀は、「葬儀における満足とは何か?」という問いに対して、ひとつの明確な答えを示しているような気がする。

葬儀で感動したことのトップは「弔辞」
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第1話で、「全日本葬祭業協同組合連合会」が同様のアンケート調査を行った結果を紹介させていただいた。その中に「葬儀に参列して感じたことは?」という質問があり、その回答が非常におもしろかった。「形式的になりすぎている」という感想が約半数を占め、さらに「不必要なものが多い」「質素にしたほうがいい」などの意見が大半を占めた。しかし注目したのはその部分ではなく、「参列して感動したこと」という自由記入式の感想・意見である。感動した要因として一番多くあげられていたのが「弔辞」だったのである。それは「喪主の挨拶の内容」であったり、「故人を偲んで語られる家族や友人からの言葉」であったり、「小さな孫が祖父母を送る言葉」だったりと、形は様々だが、「故人を送る心の表現」に感動したという点が共通している。また「故人が好きだった音楽の演奏があった」という回答もあり、「故人を意識できるような葬儀に感動を覚えた」という言葉が添えられていた。

それに対して、「飾りつけ」「生花・花輪」「室外装飾」などは「過剰である」とする割合が高く、「香典返しは不要」という回答が30%になっている。葬儀が滞りなく終了した時、参列者の方々から「いい葬儀でしたね」という声が聞かれると、葬儀社はその言葉に満足してしまう傾向が強く、それはやむを得ない場合が多いと思うが、今一歩進んで、「その満足はどこから来ているものなのか?」を深く掘り下げてみると、葬儀社と遺族・参列者の皆様の間に意外な意識のずれが潜んでいると考えるのは、あながち的外れとは言えないのではないだろうか?考えてみれば、実に恐ろしいことである。

「いい葬儀でしたね」の背景にあるのは、スムーズな式の進行や祭壇の豪華さではなく、心温まる短い弔辞だったり、故人の人生の豊かさを物語る満足そうな死相だったりすることを、我々葬儀関係者は肝に銘じなければいけないのかもしれない。そこに葬儀における「満足」の本質があるということは、常に忘れてはならない重要なポイントであろう。

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