葬送ルネサンス

第三話 人は葬儀に何を求めるか?

3.「送る心を形にする」という役割

ここまで「葬儀における満足」を葬儀社と遺族の関係を中心に述べてきたが、近頃は生前に葬儀社を交えて自分の葬儀を相談するというケースも増えてきている。いうならば、葬儀における「故人の満足」が実現可能になってきたということかもしれない。葬儀に関する「事前相談ノート」や「遺言ノート」といった類の本も多数出版され、その手の情報には事欠かない。

以前「月刊消費者」に、消費コンサルタントのさえきみちこ氏が「葬儀は誰のもの」というタイトルでコラム記事を寄稿していた。その中で「葬儀やお墓のことを先送りしないで、『自分の納得する葬儀』を考えてみては」と提案している。今後は葬儀社にも、「自分の葬儀をどうしたらよいのか?」といった相談が多数寄せられるようになるかもしれない。

エンディングノート
画像をクリックすると大きく表示されます
生前に「自分の葬儀をどうしたらよいのか?」という相談を受けた場合、それはターミナルケアに属する部分の話ではないかと筆者は考える。その相談をする時点で、相談者が意識的か無意識かは別にして、死に対する「自分なりの準備」を考えているということである。遺言などとも共通する気持ちとして、自分の死後に起こる様々な事象に対して準備することで「自分自身が安心したい」という気持ちがあるのではないかと推察する。

相談を受ける上で、この「死を迎える準備をしているのだ」ということを念頭に置いているのといないのでは、相談者に対する対応は大きく違ってくるはずである。
もし「死の準備」と考えた場合、最初に聞かなければならない(あるいは話さなければならない)のは、葬儀の費用や方法などの話ではなくて、「どういう形で死を迎えたいか」といったところからの話し合いであり、その部分から出発しなければ相談者の本当の満足は得られないのではないだろうか。
そう考えると、相談を受けた場合の対応方法の答えは、自ずと出てくるはずである。そしてそれは、遺族から相談を受けた場合にも、共通する部分が多くあるのではないだろうか。

参列者と葬儀社の係りについて、1つには故人に対する追悼の気持ちをどういう形にして伝えるかがポイントであり、その際に重要なのは参列者の対する「手厚い心配り」に尽きるだろう。前回にも触れた「故人に成り代わって」という言葉のもつ意味は限りなく大きく、ここをはずしては葬儀社の葬儀は成り立たないと筆者は考える。

最後に、葬儀というのは「故人を送る『心』を形にしたもの」であり、葬儀社の役割はその形のプランニングであり、プロデュースであり、ディレクションであるというのが、筆者の一貫した基本認識である。そこに遺族と参列者が様々な思いをもって関わり、それぞれがもつ「送る心」が具体的な形となって表れていると感じた時、個々に葬儀に対して満足を感じるのだ。
この「送る心の満足」こそ、もっとも「非生産的」と思われる葬儀というイベントに、納得して料金を払う唯一の意味、あるいは言い換えれば「源泉」なのではないだろうか。

その「送る心」を形にする具体的なアイディアやディレクションの方法については、本連載で予定している「差別化のためのヒント」「無宗教葬を成功させるためのポイント」などで改めて詳しく述べていきたい。
しかし、そうした新しい「変革の潮流」に対して、それを阻害する様々な要因があることも事実である。そしてそれは、決して外的な要因ばかりではなく、多くは我々日本人の心の中にある「内的な要因」によるところが大きいと筆者は考える。次回はその「変革を阻害する要因」について、歴史的考察も踏まえて述べてみたい。

ページTOPへ