葬送ルネサンス

第五話 葬儀ビジネスのサービス業としての特殊性

2. サービス業という視点から見る葬儀

前段では、葬儀という「特殊な状況」から生まれる葬儀ビジネスの特殊性を述べたが、葬儀業にはそれ以外に、葬儀という「儀式」をビジネスにすること自体がもたらす特殊性が存在する。そしてその特殊性は、先にも述べた「葬儀は死という人間の尊厳と、それを取り巻く愛別離苦の感情の中での作業である」という点に起因している。

第一の問題は、「死」という問題を人間の尊厳と結びつけ、葬儀という儀式をそこから生まれる「思想性」や「道徳」と関連づけて考える発想である。その発想から生まれるのは「葬儀は神聖なもの」という考え方であり、その考え方に基づけば、葬儀をビジネスとして利益を追求することは大きな矛盾を含んでいると言わざるを得ない。

第二の問題は、第一の問題とも関連するが、葬儀が神聖なものであるからこそ、それは「奉仕の精神によって執り行われるのが基本である」という考え方である。
事実、昔の葬儀は地域の共同体が主体となっていた場合がほとんどで、それはその時々の状況に応じて互いに協力し合う「お互い様意識」の関係の中で行われるのが基本だった。その名残が「互助・互助会」という名称に色濃く残っている。近年は葬儀業者がそれを代行するようになったが、それでもその「奉仕の精神」が葬儀ビジネスに大きな影響を与えており、お客様にとっては葬儀社が利益率や効率化の追求を口にすることに強い抵抗を感じるという傾向がある。

そして最後が、連載の第1話でも触れたが、葬儀という儀式の「非生産性」である。故人の人生を締めくくるという重要な意義をもつとはいえ、そこから新たに生み出されるものはほとんどない。しかし、この「非生産的な儀式」に、多くの人は国産車が1台買えるほどの金額を通夜と告別式の2日間だけで使ってしまうのである。

こうしたビジネスとしての葬儀業の特殊性と、先に述べた葬儀という状況の特殊性が交錯することによって、一般の方々が「わかりにくい」「お金がかかりすぎる」と感じる葬儀の形態が徐々に形作られてきたのではないかと筆者は考える。
そして現在、社会の一部からはこの現状を変革しようとするよりも、「だったら葬儀なんかしなくてもいい」という諦めにも似た声も聞かれるようになってきている。「月刊消費者」の2003年4月号に、消費コンサルタントのさえきみちこ氏が「葬儀をしない選択」というエッセイを寄せているが、こういう声が今後、ますます増えるかもしれないと考えるのは、単なる思い過ごしだろうか?

葬儀とそれを取り巻く状況の特殊性を理解した上で、葬儀の本質の意味を社会に向かって説明しようとしてこなかったこれまでのツケが、社会全体に葬儀をする意義の喪失を生み出し、ひいてはそれが葬儀自体の否定につながることを危惧する。
今、筆者も含めた葬儀業界関係者に必要なのは、葬儀の価格やシステムなどを論議する前に、「なぜ葬儀をするのか?」、あるいは「なぜ葬儀は必要なのか?」を改めて考え、それを社会全体に啓蒙していくことも必要だと考えるが、いかがだろうか?

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