葬送ルネサンス

第六話 無宗教葬をどう考えるか?

1. 「無党派層」と似た「無宗教感」

 筆者には仕事・プライベートを含めて、何人かの外国の友人・知人がいるが、彼らと友好を深めるに従って彼らから質問されるのが、「日本人は『あなたの宗教は?』と聞いたとき、なぜ、ほとんどの人が『無宗教だ』と答えるのか?」ということだった。さらに彼らの疑問は、「しかもそのことに何の疑問ももっていないらしい」というところにつながっていく。
同じような質問は、海外で暮らす日本人もよく聞かれることらしく、同じような答えをすると「怪訝な顔をされた」と海外から帰ってきたばかりの友人は話していた。
日本人(ほとんどの)を除く多くの人々にとって、宗教は生きていく上で不可欠な指針であり哲学である。彼らにとって「無宗教」というのは、自分自身のアイデンティティーの放棄に他ならない。
 アメリカ人の友人は自身も敬虔なクリスチャンだが、「だからと言って、日本人が宗教的なバックボーンをもっていないとは思えない」と言う。彼いわく、「日本人ほどいろいろな占いや呪いを信じる国民はいないし、信じていないといいながら年がら年中、宗教行事を行っているではないか」ということになるらしい。

 確かに彼の言うことにも一理あって、手相から姓名判断、果ては血液型から風水まで、日本人ほど占いの類が好きな国民はいないのではないかと思うほど、実に多種多様なものを、何の抵抗もなく受け入れているのは驚嘆に値する。しかも、正月には神社に初詣に行き、おみくじに一喜一憂し、さらに合格祈願、交通安全、安産祈願と、ことあるごとにお守りをもらい、結婚式は教会で行いながら、葬式は仏式で執り行うなど、人生の拠り所となる哲学として宗教を信じている彼らにとっては、日本人の宗教観はまさに「何でもあり!」の「アンビリーバブル!」なものと感じるのだろう。

 では果たして、日本人の多くは文字通りの「無宗教」なのだろうか?筆者は「無宗教=宗教が無い」のではなく、実は宗教的なものがあまりにもたくさんありすぎて「何でもよくなっている状態」が今の日本の現状なのではないかと考えている。それは選挙における「無党派」が「党派をもたない」のではなく、むしろ「どこでも同じ」という諦めにも似た「思考停止状態」に陥っている現状によく似ていると思われる。
 今回のテーマは「無宗教葬をどう考えるか?」だが、その前に日本人の「無宗教とは何を意味するのか?」を考える必要があるのではないだろうか?そして実はこの部分が明確にならなければ、「無宗教葬」は多くの人々に受け入れられないと筆者は考えている。

 では日本人特有の「無宗教」はいつ頃から始まったのか?第4話で「現代の葬儀様式は江戸時代に始まった」と述べたが、それを簡単に受け入れた日本人の「何でもあり」の宗教観のルーツを辿ると、それは聖徳太子の時代にまでさかのぼる。
堺屋太一氏は自著「日本を創った12人」の中で、「聖徳太子こそ『神・仏・儒集合思想』の発案者であり、日本人の宗教観の元祖である」と述べている。
 聖徳太子の時代、初めて大陸から仏教が伝来する。それは科学・芸術・文学などの各分野を包含しており、当時としては最高の文化の集大成であった。聖徳太子は自身も熱心な仏教徒であり、仏教を基本とした政治・文化の確立を推し進めようと計画した。
しかし、そこには大きな問題が残っていた。つまり聖徳太子自身が天皇家の血筋を引く立場であり、その政治的背景や権力もすべて天皇家をバックボーンとして成り立っている。そしてその天皇家を日本における唯一の正統と位置付けている根拠は、言うまでも無く天孫降臨という神道の教えであり、「全ての人間には仏性があり、その意味では平等である」という仏教の教えとは、根本的に相容れない部分である。

 事実、当時の大和朝廷は仏教の公認を巡り、排仏派である物部氏と仏教信仰派である蘇我氏が激しく対立して、やがて武力闘争が勃発することになる。その対立を乗り越え、新たな機軸を打ち出したのが、聖徳太子が発案した「世界唯一の集合思想である」と堺屋氏は分析している。
つまり聖徳太子は、自身は各地に寺を建立するなど熱心な仏教徒として振舞いながら、天皇家の正統の根拠となる神道に関してもそれを排斥せず、むしろ擁護する姿勢を見せているのである。さらに、仏教と同時期に大陸から伝来してきた儒教に対しても、最新技術の習得に有益であると考えれば、それを積極的に容認している。その基本的な考え方は、堺屋氏の言葉を借りるならば、まさに「ええとこどり」であり、それぞれの利用できるところを抜粋して、日本独自のものに作り変えていく作業だった。

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